【挨拶】「わが国の経済・物価情勢と金融政策」(長崎県金融経済懇談会)
全文
§1
日本銀行政策委員会審議委員原田泰日本銀行 2019年5月22日 わが国の経済・物価情勢と金融政策── 長崎県金融経済懇談会における挨拶要旨 ── 1 はじめにおはようございます。日本銀行の原田です。本日はお忙しい中、長崎県を代表する皆様にお集まり頂き、懇談の機会を賜りまして、誠にありがとうございます。皆様の前でお話しできるのを大変光栄に思います。また、皆様には、日頃から私どもの長崎支店をはじめ、日本銀行各部署の業務運営に多大なご協力を頂いており、この場をお借りして厚くお礼申し上げます。
§2
80年代まで主要先進国の中でもっとも高い成長率を誇っていた日本の成長率が、 90年代以降低下してしまったことは皆さまよくご存じのことです。低成長は 90年代からですから、もう 30年間低成長のままです。物心ついた時には低成長だったという方は、すでに 40 歳になっておられる訳です。バブルのころ新入社員で楽しい思いをした、あるいは資産価格の変動で酷い目にあったと覚えておられる方も、もう 50 歳を過ぎておられます。「経済が低成長でも構わない。経済よりももっと大事なものがある」とおっしゃる方は多いのですが、「低成長は年金の切り下げになりますよ」と言われると「それは困る」という方ばかりです。福祉の充実した北欧諸国は、皆日本より経済的に豊かな国です。また、人々が寛大さや合理的な判断能力を失うのは、経済が苦境にある時です。日本の昭和恐慌から戦争に至る道を考えても、このことはご納得いただけると思います。経済が良好な状況にあることは重要です。本日は、まず第1に、日本の低成長を労働、資本、 TFP(全要素生産性、技術進歩)の3つの要素に分けて、かつ世界的に考えてみます。第2に、低成長との関連で、なぜ2%物価目標が必要か、 2 第3に、高圧経済と成長との関係、第4に、低金利と銀行経営の関係、第5に、最近の経済情勢と金融政策についてお話ししたいと思います。
§3
1.世界的に見た日本の低成長と成長会計日本の低成長を世界的に見てみましょう。以下では、成長を資本(情報通信技術資本+それ以外の資本)、労働、 TFP に分けて見てみます。成長をこの3つの要素に分けて考えるのは、それぞれの要素について考えることで、どうすれば成長率を高めることができるかが多少なりとも理解できるからです。 OECD が、加盟国について推計した分析がありますので、これで見てみます。図1では、主要7か国とそれらの平均を見ています 1。この図の折れ線グラフから分かることは、日本は 80年代まで高い成長をしてきたがその後停滞してしまったこと、 90年代央以降、イタリア以外の国は日本以上の成長を続けてきたこと、 2013年の大胆な金融緩和政策、 QQE の導入以降、日本の成長率が回復したこと、また、他の国の成長率が低下したことによって、日本の低成長が少しだけ目立たなくなったということです 2。
§4
1 総務省「平成 30年版情報通信白書」第1章第3節でも、 OECD のデータを用いている。この図表 1-3-2-2 では、本稿と同様の結論が導かれている。日本銀行調査統計局や内閣府の需給ギャップや潜在 GDP を求めるためのデータセットを用いると、 TFP と資本の寄与については OECD のデータを用いた場合とはやや異なる結果が得られる。2 図を簡略にするため、 85-95年の期間を取っている。日本の 80年代後半の高成長はバブルによるものだから、バブル崩壊後の 90年代前半までを合わせて見た方が経済の基調を表すと言える。原田泰「実証経済学はいかなる真実を照らし出したか」、岩田規久男・宮川努編『失われた 10年の真因は何か』東洋経済新報社、 2003年、参照。 3
§5
0246810-1012341985-19951995-20122012-2017TFP 非ICT資本 ICT資本労働実質GDP CPI一人当たり実質GDP 長期金利(右軸)(%)(%)7か国平均(注)一人当たり実質GDPは一人当たり実質購買力平価GDP(2010年米ドル)。ICT資本とは情報通信技術資本。長期金利は10年物国債利回り(入手可能なデータの始期は各国で異なる)。日本の2017年の成長会計のデータは内閣府「国民経済計算」を用いて試算した。
§6
(出所)内閣府「国民経済計算」、OECD「Level of GDP per capita and productivity」、「Growth in GDP per capita, productivity and ULC」、IMF「World Economic OutlookDatabase」、Bloomberg図1 主要国の成長会計0246810-1012341985-19951995-20122012-2017(%)(%)日本0246810-1012341985-19951995-20122012-2017(%)(%)アメリカ0246810-1012341985-19951995-20122012-2017(%)(%)イギリス0246810-1012341985-19951995-20122012-2017(%)(%)ドイツ0246810-1012341985-19951995-20122012-2017(%)(%)フランス0246810-1012341985-19951995-20122012-2017(%)(%)イタリア0246810-1012341985-19951995-20122012-2017(%)(%)カナダ
§7
4
§8
この変化を棒グラフの資本、労働、 TFP の動きに分けて考えますと、日本では、 95-12年にかけて資本、労働、 TFP の寄与がそれぞれ低下して、全体の成長率が低下しました。その後、 12-17年にかけて労働と TFP の寄与が回復することによって成長率が少し回復しました 3。しかし、 2012年以降、7か国平均の年平均成長率が1.6%である中、日本の成長率は 1.3%であり、日本の成長率が低いことに変わりはありません。しかし、多くの国の成長率が日本より高いのは労働の投入によるものです。労働の寄与が平均では 0.6%であるのに、日本は 0.2%です。ただし、その前の期間ではマイナス 0.4%でしたから、 2012年以降の日本の成長率の回復では大きな寄与となっています。他国の労働の寄与が大きいのは、この間、移民を中心に人口が増加したからです。日本の労働の寄与が低いということは、人口一人当たりで見た日本の成長率は他の国に劣らないことになります。実際、人口一人当たりの実質購買力平価 GDP では、7か国平均が1.1%であるのに対して日本は 1.4%と平均よりも高くなります。また、日本の場合、もう一つ、回復に貢献したのは TFP の回復です。日本の TFP の寄与は 1.0%と7か国の平均の 0.6%よりも高くなりました。
§9
TFP の回復には、 3.で説明する高圧経済の貢献があると思います。しかし、資本の寄与は前の期に比べてもさらに
§10
3日本の 1990年代の成長率の低下は TFP の低下によるものだという議論が盛んに行われたが、成長率の低下は労働の質の上昇の減速、労働投入の低下、資本蓄積の減速、稼働率の低下など他の要因にも大きく起因していたと結論付けられるようになった。詳細は次の文献を参照。元橋一之「日本経済の情報化と生産性に関する米国との比較分析」経済産業研究所RIETIDiscussion Paper Series 02 -J-018、2002年。川本卓司「日本経済の技術進歩率計測の試み:『修正ソロー残差』は失われた 10年について何を語るか?」『金融研究』第 23 巻第 4 号、日本銀行金融研究所、 2004年12月。権赫旭・深尾京司「第 3 章失われた 10年に TFP 上昇はなぜ停滞したか―製造業企業データによる実証分析」林文夫『経済制度の実証分析と設計第 1 巻経済停滞の原因と制度』( 74-81 頁)勁草書房、 2007年。 5
§11
低く 0.2%と7か国平均の 0.4%よりも低くなりました。これは、資本を情報通信技術資本とそれ以外の資本に分けても変わりません。日本では、資本が足りない、設備投資が不足と言えるでしょう。これについても 3.で考えたいと思います。世界全体を見ると、図の折れ線グラフで見ますように、どの国も成長率が低下しています。日本より成長率が高い国も、移民を含めた人口の増加によって成長率を維持しています。90年代後半以降、低成長は日本の問題とされていたのですが、今や世界の問題となったのです。同時に、物価も低下して行きました。80年代まで、先進国は高インフレに悩まされてきましたので(特にイタリアとイギリスではそうです)、物価の低下を問題とする声は世界的には少なかったと思いますが、今になっては大問題です。日本では、さすがに 90年代央になると、デフレが生産を停滞させ、不良債権や財政赤字問題を深刻化すると指摘されるようになりました 4。アメリカ、イギリスの場合は物価上昇率の維持に苦心していましたが、何とか成功したと言えるでしょう。大陸ヨーロッパの場合は様子が異なるようです。ドイツ、フランス、イタリアの物価は、近年は1%に達しておらず、デフレ圧力を受けていると言えるでしょう。日本の場合は、 95-2012年のマイナスからは回復しましたが、消費者物価の上昇率は1%に達していません。
§12
さらに、図1に見るように、金利も低下しています。金利の低下は、実質成長率や物価上昇率の低下を反映したものですが、それ以上に低下している要因があるようです 5。
§13
4 岩田規久男『日本型平等社会は滅ぶのか』第 2 章、東洋経済新報社、 1995年。5 原田泰「なぜ日本の金利は低いのか」(『景気とサイクル』景気循環学会、第 62 号、2016年11月)は、金利の低下を、実質成長率と物価上昇率の低下、 6
§14
2.なぜ2%物価上昇目標が大事なのか前節で述べましたように、日本ばかりでなく主要国も、低成長、低インフレに悩まされています。大陸ヨーロッパの国々も、2%の物価目標を達成できていません。では、なぜ2%物価上昇が大事なのでしょうか。他の国も達成できないなら、日本も達成できなくても良いではないかという声もあります。日本銀行は、2%物価上昇が大事な理由を3つ挙げています 6。これを私なりに要約しますと、第1に、消費者物価上昇率の統計には上方バイアスがあり、ゼロ%インフレを目指すことはデフレを目指すことになりかねないことです。第2に、ゼロ%インフレを目指せば長期的に成立する均衡金利も、名目で見ると、低いものになってしまいます。そうであると、いざ不況の時には金利を下げる余地がほとんどないという状況になります。それを避けるために、インフレ率の上昇によって得られる名目金利の「のりしろ」が必要です。第3はグローバルスタンダードです。世界の主要国が皆2%インフレ目標を持っているときに、日本だけ、より低い目標を持てば、結果として円高をもたらし、企業の投資計画に混乱を与えるということになります。また、世界と同じインフレ率を保てば、長期的には為替の安定に寄与するということだと思います。これらの議論のうち、私は、もっとも重要なのは、第2の「のりしろ」論だと思います。これについて私の考えを述べたいと思います。
§15
これは、過去、日銀が唱えていた「のりしろ」論とは全
§16
資金需給の構造変化で説明している。また、ベン・バーナンキ「4 なぜ金利はこんなに低いのか」(ローレンス・サマーズ他・山形浩生編訳・解説『景気の回復が感じられないのはなぜか―長期停滞論争』世界思想社、 2019年)は、金融政策と金利の関係を説明している。内閣府「世界経済の潮流 2016年Ⅱ」第 1 章第 1 節( 2017年1月)は、上記に加えて、資本財価格の低下、安全資産需要の高まりなどを挙げている。6 黒田東彦「デフレ脱却の目指すもの―日本経済団体連合会審議員会における講演―」日本銀行、 2013年12月25日。 7
§17
く異なります。これまでの「のりしろ」論は、金利が低すぎれば不況の時に刺激策がなくて困るので、景気回復が十分でなくても、早めに引き上げるということでした。その結果は、大失敗です。十分な物価上昇のモメンタムを確認してから利上げを行うことが正しいのりしろ論です。インフレによって金利が高くなることが期待されているのです。現在の日銀ののりしろ論は、過去の誤ったのりしろ論とは全く異なるものであることを強調しておきたいと思います。銀行とは、短期で資金を調達して、長期に貸し出すものです。短期金利に比べて長期金利が高ければ利鞘も高くなります。短期金利は長期金利ほど高くならないのが通常ですので、インフレ率の上昇によって金利が高くなれば、銀行は利益が得られることになります。では、そうであるなら、なぜ銀行は一刻も早い金利の引き上げを望んだのでしょうか。おそらく、金利を下げて景気を刺激することで物価が上がり、名目金利も上がるというメカニズムが十分に理解されていなかった、あるいは、理解されていたが待つことができないほど金利の上昇が渇望されていたということでしょう。また、日本銀行の行っている大規模な資産買入れやマイナス金利政策は異常なものだから一刻も早く「正常化」しなければならないという方はたくさんおられます 7。しかし、何が正常で何が異常かの根拠が説明されることはありません。
§18
2000年のゼロ金利政策の解除も、 2006年の量的緩和の解除も、「正常化」の試みだったのでしょうが、大失敗でした。早すぎた金融引締で景気の悪化が懸念され、長短金利差はむしろ縮小してしまったからです 8。現在、
§19
7 例えば、山川哲史「出口の迷路金融政策を問う( 22)政府の『脱デフレ宣言』受け、正常化へ」『エコノミスト』 2018年3月13日号。8 これについては、原田泰「わが国の経済・物価情勢と金融政策-石川県金 8 米欧の長短金利差も縮小しています。これはこれまでの金融引締めが景気を冷やしたからだと言われています。現在の日本でも金利を直ちに引き上げれば、長短金利差は逆転してしまうでしょう。さらに2%インフレ目標にコミットする理由があります。これは実際にどれだけ景気が良いかよく分からないことです。具体的に言えば、それ以上引き下げたらインフレになるという限度である構造失業率がいくらなのか、実はよく分かりません。仮に構造失業率を3%台前半から半ば程度などとする推計値をもとに金融緩和を止めていたら、現在の2%台前半の失業率は実現していません 9。今後さらに低い失業率が実現するだろうと思います。直接物価を目標にしたからこそ、より低い失業率を実現し、バブルにもなっていません。賃金の上昇を受けて、非製造業の企業などにおいてはビジネスプロセスの改善や省力化投資も進んでいます。すなわち、明確な物価目標を持つことで、大胆な金融政策の発動が可能になり、経済を回復させることができたのです。2018年5月の日本銀行金融研究所主催国際コンファレンスで、キプロス中央銀行総裁(欧州中央銀行政策理事会メンバー)を務
§20
融経済懇談会における挨拶要旨-」(日本銀行、 2018年7月4日)を参照。9 厚生労働省「労働経済の分析平成 27年版」、内閣府「経済財政白書平成 27年度」、日本銀行「経済・物価情勢の展望(展望レポート) 2014年10月」(基本的見解)などは、 UV 分析という手法によって構造失業率が3%台前半から半ば程度だと試算していた。日本銀行において、構造失業率の数値は 2014年10月を最後に、「展望レポート(基本的見解)」の本文から落ち、注において「構造失業率を一定の手法で推計すると、このところ3%台前半から半ば程度であると計算される」と記されるようになり、 2016年4月公表分以降は基本的見解の注からも削除され、背景説明の注のみで説明されるようになった。その後、 2016年7月公表分からは、注からも構造失業率の数字が落ち、かつ「ここでの構造失業率は NAIRU (Non -Accelerating InflationRate of Unemployment [ インフレ率を加速させない失業率 ])の概念と異なり、物価や賃金との直接的な関係を表す訳ではない」という説明が加わった。この間、構造失業率のグラフは背景説明にて掲載され、グラフからは構造失業率が3%台前半から徐々に低下していることが読み取れた。
§21
しかし、 2018年4月のグラフでは、 2.5%程度に急低下したのを最後に 2018年7月には、背景説明からも構造失業率のグラフが削除された。
§22
9 めたマサチューセッツ工科大学のアタナシオス・オルファニデス教授(日本銀行金融研究所海外顧問)は、「物価安定の定義が明快ではなかったことが果断な量的緩和策を日銀に回避させ、代わりに、低すぎるインフレ率を進んで受け入れさせた。 2013年物価安定の定義が2%であることが明確にされたことを受けて、金融政策は劇的に新しい方向へ進むことになった。同じ年に開始された果敢な QQE は、徐々に経済を浮揚させると同時に政府債務の遷移見通しを改善させている。」(63-64 頁)と述べています 10。
§23
3.高圧経済と実質成長金融緩和政策は経済を刺激し、人手不足をもたらし、経済に成長を促すような圧力をかけます。このような高圧経済が実質成長率を高める経路は種々とありますが、1.で述べた成長会計の結果に従って考えてみたいと思います 11。QQE を開始した後、労働投入の増加と TFP の上昇により、成長率が回復しています。ただし、資本の投入は、情報通信技術資本も、それ以外の資本もむしろ減速しています。労働投入が増加したのは QQE で経済を刺激することに成功したからです。不況になれば失業者は増えますが、好況になると、失業していた人が働き始め、かつ、これまで仕事探しを諦めていた人も雇用環境の改善を受けて積極的に仕事を探して働き始めます。この結果、労働投入が増加します。また、不況になるとは、仕事がないことですから、運良く仕事 10 オルファニデス、アタナシオス「中央銀行独立性の境界:非伝統的な時局からの教訓」『金融研究』第 37 巻第4号、日本銀行金融研究所、 2018年10月。11 種々の経路は、原田泰「日本経済と生産性─大和総研日本経済予測第 200回記念コンファレンスでの特別講演─」(日本銀行、 2019年3月25日)で説明している。 10
§24
に就いた人は、なんとかその仕事を失わないようにします。ブラック企業とは、仕事のない中で、なんとか得た仕事を失いたくない人びとに付け入って、過酷な労働をさせる企業です 12。また、大企業は、そう簡単に人を解雇できませんので、不満を抱え、先の見通せない人々を大量に抱え込むことになります。こんな状況では、利益も生産性も高まるはずがありません。景気が良くなれば、労働生産性の低い仕事を止めてしまうということもあります。不況になって売り上げが落ちれば、お店を開けている時間を増やしていくらかでも需要を取り込もうという動きが現れます。好況の時には、この逆のことが起きます。人手不足になれば、深夜まで営業していた飲食店も早めに店を閉めてしまいます。昼と夜の書き入れ時だけ営業すれば、労働生産性は高まります。人手不足になれば、人々は新しい仕事に就くことができるようになります。ブラック企業から人々は逃げ出し、先が見通せないまま大企業にいた人々も、新しい仕事を求めて移動します。自分の価値をより高く評価してくれる企業に移るのですから、経済全体の生産性が高まるはずです。生産性の問題だけではありません。自分をより高く評価してくれるところで働くことは、人びとの幸福度を高めるはずです。生産性と幸福度の両方が同時に高まり、TFP も上昇します。最後に資本の投入について考えます。なぜ資本投入が増えないのでしょうか。
§25
これは、利益の割に投資が少ないのはなぜかと言われていたことと似ています。その理由として、期待成長率が低いこと、期待成長率の自己実現的な性質、海外での投資意欲が強
§26
12 ブラック企業の事例については、今野晴貴『ブラック企業日本を食いつぶす妖怪』文春新書、 2012年、参照。 11 く、その結果、国内の設備投資が伸びないことなどが挙げられています 13。海外での投資意欲が強いのは、人口減少で国内市場の収縮が懸念されていることと、 QQE 導入まで続いていた円高傾向の中で、間歇的に円が急騰したという経験があります。以上の理由の中で、私が特に注目するのは、期待成長率の自己実現的な性質です。過去に成長率が低く、また、時折円が急騰すれば、期待成長率も投資の期待利益率も低下してしまいます。したがって、投資が回復するためには、高い成長が続き、為替が安定していることが重要ということになります。 2012年から現在まで、なんとか年平均で1%余りの成長が続き、為替も安定し、投資も回復していましたが、このところ難しい局面になっています。これについては最近の経済情勢のところでお話ししたいと思います。
§27
4.低金利と銀行経営低金利は人手不足を引き起こし、生産性と幸福度を高めている訳ですが、これが銀行経営の困難を引き起こしているという議論が度々聞かれるようになっています 14。しかし、私は、経営悪化は、むしろ、貸出先がないのに預金が集まってしまうという、銀行の構造問題に依るものであると考えています。もし大胆な金融緩和、QQE をしていなかったら、銀行経営はどうなっていたでしょうか。QQE 導入以来、国内銀行の貸出は、 2019年2月までで 71 兆円増えていますが、預金は 144 兆円も増えています(日本銀行「民間金融機関の資産・負債」)。本来、銀行業界には、 71 兆円も貸出が 13 加藤直也・川本卓司「企業収益と設備投資―企業はなぜ設備投資に慎重なのか?―」『日銀レビュー』 2016 -J-4、2016年4月。青木大樹・鹿野達史「第4 章所得が伸びても支出が伸びないのはなぜか」原田泰・増島稔編著『アベノミクスの真価』中央経済社、 2018年。14 例えば、「見えぬ『出口』、副作用増大=銀行界に高まる不満-マイナス金利3年」時事通信社、 2019年2月15日。 12
§28
伸びるような金融政策を前向きに受け止めて頂けるのではないかと私は思っているのですが、非難と不満は絶えません。その理由は、貸出よりも預金が増えてしまって、運用に困っている銀行があるからです。もちろん、信用乗数のメカニズムによって貸出が増えれば預金も増えるのですが、このメカニズムだけでは貸出の2倍も預金は伸びません。運用に困っているなら、預金が集まらないようにすれば良いのではないかと思います。これに関連して、地域金融機関に人材が集まらない、中途退職するという報道があります 15。報道では、これが困ったことであるかのように書かれていましたが、結果的に必要以上の預金集めに充てている人員や店舗の削減につながる面もあります。これは、銀行業、ひいては、日本経済全体の生産性を上げることにもなります。もちろん、銀行の店舗が減少すれば、利用者の利便性は低下します。だからいけないという批判もあります 16。しかし、そもそもお客が少ないからお店を閉めようとする訳です。預金口座を持つことは基本的人権に含まれるという議論に私は賛同いたしますが、郵便局、農漁協、信組、コンビニやスーパー内の銀行もあります。預金口座は様々なところで持つことができます。
§29
図2は、 QQE 開始以来、貸出が伸びて金利が下がった結果、現実に生じた預貸関連収益(貸出の利息から預金の利息を差し引いて計算される収益)と、 QQE を行わなかった場合の仮想的な預貸関連収益を比べたものです。QQE を行わなければ、貸出は増えず、また金利は過去のトレンドで下がっていったとしています。これが
§30
15 例えば、「地銀波乱人材枯渇の危機(上)」、「人材枯渇の危機(下)」日本経済新聞、 2019年2月20日、 21日。16 「これまで愛用していた近所の支店がなくなったり、法人客は扱わない個人専用店舗になったり、銀行の収益悪化が利用者の利便性を奪い始めている。」「経済気象台銀行の巨額損失、誰のため」朝日新聞 2019年3月26日。 13 ケース1です。金利が下がったのは、物価が下がり、実質成長率が下がったからだという1.での指摘に従えば、金利はトレンドで下がっただろうと考えるのが正しいと私は思いますが、仮に金利は下がらなかったとしたのがケース2です。
§31
現実の預貸関連収益と仮想ケースを比べると、ケース1の場合は、2017年度において現実よりも 0.2 兆円収益が上振れています。ケース2の場合には、1兆円上振れます。この上振れ部分を 2013年度から累積しますと、ケース1の場合は 0.9 兆円、ケース2の場合には 3.4 兆円となります。しかし、 QQE で景気が良くなり、株が上がり、金利が低下したのですから、 QQE によって、信用コストが低下し、株式関係損益と債券関係損益が増加したはずです。こ図2 預貸関連収益のシミュレーション4.04.24.44.64.85.05.25.45.65.86.02011121314151617実績ケース1 ケース2(兆円)年度(注)全国銀行(国内業務部門)。預貸関連収益は貸出金利息から預金利息を控除したもの。ケース1では、貸出金利回り、預金利回り、貸出金残高、預金・譲渡性預金残高について、2002年度から2012年度の時系列データから算出したトレンドを用いて2013年度以降のデータを試算した。ケース2では、ケース1での貸出金利回りについて2012年度の数値をそれ以降は横這いと仮定して試算した。(出所)全国銀行協会「全国銀行決算発表」「全国銀行財務諸表分析」、日本銀行「民間金融機関の資産・負債」QQE導入 14
§32
れらを 2013年度から累積していきますと、 2017年度までで 4.0兆円となります 17。ケース1、ケース2のいずれの場合の預貸関連収益の上振れの累積額より大きくなります。 2017年度まででは、むしろ QQE によって銀行の利益は上振れしたと思います。 QQE で銀行の収益が低下したという議論は、金利低下が景気を回復させたことを見ずに、ただ金利のみが低下しなかったら、もっと利益が上がっていたはずだという、ありえない想定に基づいた議論だと思います。 5.最近の経済情勢と金融政策金融緩和政策で高圧経済を作り出すことの重要性を述べて参りました。これからは最近の経済情勢についてお話ししたいと思います。図3、図4は主要な経済指標をまとめたものです。これまで、生産、投資(資本財総供給)、輸出、世界貿易と、ほとんどすべての経済指標が良くなっていたのですが、足下では落ち込みが見られる指標が多くなっています。 17日本銀行金融機構局「銀行・信用金庫決算」(各年版)より、大手行(単体)・地域銀行(単体)の債券関係損益、株式関係損益、信用コストの合計値。 15
§33
さらに図4で、賃金、雇用、雇用者所得(賃金×雇用)、消費を見てみます 18。一人当たりの実質賃金は上昇していませんが、実質雇用者所得(実質賃金×雇用)は、消費増税のあった 14年度を除くと、ほぼ順調に伸びていました。失業率も低下しています。この中で、改善度合いが弱いのが実質消費です。消費活動指数で見て、消費は前回消費増税時の駆け込み需要前の 2013年の水準に戻っていません。しかし、方向として回復しているのは事実です。 18 過去の金融経済懇談会では、毎月勤労統計の常用労働者数×実質賃金を実質雇用者所得としていたが、常用労働者数は 2018年1月に下方の段差があるので、労働力調査の雇用者数×毎月勤労統計の実質賃金を実質雇用者所得とした。図3 生産、投資、輸出、世界貿易9095100105110115120125└ 2012 └ 13 └ 14 └ 15 └ 16 └ 17 └ 18 └19鉱工業生産世界貿易量資本財総供給実質輸出(2012年=100)(注)季節調整値。(出所)経済産業省「鉱工業指数統計」「鉱工業総供給表」、オランダ経済政策分析局「CPB World Trade Monitor」、日本銀行「実質輸出入の動向」第二次安倍政権発足 QQE 消費税増税 QQEの拡大マイナス金利付QQE 長短金利操作付QQE12年12月13年4月14年4月14年10月16年1月16年9月
§34
16 以上述べましたように、 QQE によって経済は回復しています。ただし、 2018年後半からは世界貿易量の停滞もあって、輸出と生産が低下しています。これが雇用と消費に波及するリスクはあると思います。今後も、アメリカの経済政策運営、米中通商摩擦、イギリスの EU 離脱、欧州経済の動向、中国経済の固有の要因による減速など様々なリスクもありえます。さらに、 2019年10月には消費増税も予定されています。
§35
図4 雇用、所得、消費2.02.53.03.54.04.55.092949698100102104106108110└ 2012 └ 13 └ 14 └ 15 └ 16 └ 17 └ 18 └19雇用者数消費活動指数(旅行収支調整済、実質)実質賃金実質雇用者所得消費率(実質消費÷実質雇用者所得)失業率(右軸)(2012年=100)(注)季節調整値。実質雇用者所得は、厚生労働省公表の実質賃金(現金給与総額を消費者物価指数・総合除く持家の帰属家賃で実質化したもの)に、雇用者数を乗じて算出。消費率は、消費活動指数(旅行収支調整済、実質)を実質雇用者所得で除して算出。(出所)厚生労働省「毎月勤労統計」、総務省「消費者物価指数」「労働力調査」、日本銀行「消費活動指数」第二次安倍政権発足 QQE 消費税増税 QQEの拡大マイナス金利付QQE 長短金利操作付QQE12年12月13年4月14年4月14年10月16年1月16年9月(%) 17
§36
2%物価目標達成への課題足もとの経済が弱くなっていますが、物価もそうです。直近3月の物価上昇率は、生鮮除く総合で 0.8%、生鮮とエネルギーを除く総合で 0.4%でしかありません。しかし、現在の金融政策によって景気回復が続けば、雇用が逼迫し、やがて物価は上昇していくはずです。ただし、物価が順調に上昇していくためにはいくつかのハードルがあります。第1は、既に述べたような現在の景気状況の難しさです。第2は、消費増税です。増税が景気を後退させ、需要減が物価を引き下げる可能性があります。2019年10月からの消費増税について考えると、税率引き上げ幅が2%と小さいこと、軽減税率が適用されること、教育無償化政策などの恒久的対策がなされること、駆け込みと反動の影響を均す様々な措置が取られることから、2014年度の前回増税時の影響よりも小さくなると思います。しかし、前回の消費増税も多くのエコノミストが影響は小さいと予測したにもかかわらず、大きな持続的な影響がありました。このような需要の減少は、当然に物価上昇を抑制する可能性があります。第3は、消費増税に関連しての物価下落です。消費増税とともに、教育無償化政策が行われます。
§37
消費増税による物価引上げと、教育無償化による物価の引下げ効果を合わせると、 2019年度と 20年度の消費者物価(生鮮食品を除く)上昇率を、それぞれ 0.2%と0.1%ポイント引き上げる要因になると、本行では試算しています。他にも、消費税増税とは関係がありませんが、最近の大手移動通信事業者の携帯電話通信料の引き下げがあります。この値下げは、現時点では不明な点が多く前提にもよりますが、消費者物価(生鮮食品を除く)の上昇率を 0.1~0.3%ポイント引き下げるとする
§38
18 分析が多いようです 19。これらの試算が正しいとすると、当然にその分だけ2%の物価上昇率目標の達成を遅らすことになります。しかし、私は、必ずしも悲観的には考えていません。と言いますのは、教育無償化も携帯料金引き下げも、一種の減税のようなもので、物価が下がった分だけ人々の実質所得が増加するからです。実質所得の増加が、実際の需要増加となるのには時間がかかると思いますが、2%物価目標の達成自体を困難にする要因にはなりません。これは原油価格の下落などでも同じことです。ただし、足下の現実の物価の停滞が、予想物価上昇率の停滞をもたらし、物価上昇をさらに遅らすというリスクはあると思います。以上述べましたような消費増税、海外経済のもたらすリスクに備え、日本銀行では 2019年4月25日の金融政策決定会合で、従来のフォワードガイダンスを明確化するとともに金融緩和の継続に資するための措置を実施いたしました 20。私は、フォワードガイダンスを明確にすること自体は望ましいと考えましたが、物価目標との関係がより明確になる「物価が現在想定している以上の強い動きを示さない限り、現在の長短金利の水準を維持する」などというデータ依存のガイダンスを示すべきとして引き続き反対しました 21。
§39
19 例えば、河野龍太郎・加藤あずさ「 Economic Spotlight 携帯料金 4 割引き下げのインパクト: CPI には 0.3 ポイント程度のインパクトか」 BNP パリバ証券、 2019年4月16日。戸内修自「ファンダメンタルズ・ナビゲーター携帯新料金による CPI 下押し効果はやはり限定的となりそう」三菱 UFJ モルガン・スタンレー証券、 2019年4月16日。20日本銀行「当面の金融政策運営について」(および別紙)( 2019年4月25日)参照。21 データ依存のガイダンスについての私の考え方は、原田泰「わが国の経済・物価情勢と金融政策─山梨県金融経済懇談会における挨拶要旨 ─」(日本銀行、2019年3月6日)を参照。 19
§40
おわりに以上、 80年代以降の日本経済を成長会計という手法で分析、同時に、この間の金融政策の影響について見て参りました。ここまでで分かったことは、金融政策は長期的にも生産性を高める力があるということです。一方、大胆な金融緩和政策が銀行経営を困難にするという議論も根強くあります。これについては、日本経済全体の回復が銀行経営にプラスの影響を与えていることを無視しているのではないかと指摘いたしました。最後に、日本経済の現況と金融政策についてお話ししました。現在のところ、外需と生産の減少に対して、設備投資と消費の内需は、なんとか踏みとどまっています。しかし、現状、下方リスクが高まっていることも確かです。本年10月に予定されている消費増税の影響も懸念されます。景気が悪化し、2%物価目標の長期的達成も困難になるようなことがあれば、躊躇なく金融緩和を強めることが必要と考えています。
§41
最後に長崎県経済についてお話ししたいと思います。長崎県の景気は、緩やかな回復を続けています。生産面は、このところ電子部品などで中国経済の減速の影響がみられていますが、需要面では、外国人観光客の増加や「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の世界遺産登録効果が持続するもとで、 10 連休の好影響もあり、堅調に推移しています。小売部門でも、インバウンド需要が下支え役となって底堅さを維持しています。企業部門では、設備投資は、能増投資や老朽化更新投資、人手不足を背景とした省力化投資などが幅広い業種でみられています。一方、中長期的にみると、当地主力の造船業、重機械産業において厳しい受注環境が続いていることや、全国的にみても減少が 20
§42
著しい人口動態など構造的な下押し圧力があります。しかし、長崎県には、こうした逆風を乗り越えていくための大きな強みがあります。まずは、長崎の主力産業である造船・重機械工業がもたらした産業クラスターや生産技術です。足もとは厳しい事業環境にあるようですが、長年に亘って培ってきた技術の厚みを生かして、海洋構造物や航空機産業など成長分野への応用などで活路を見いだされることを期待しています。二つ目は、現在も景気の牽引役を担っている観光です。長崎県には、歴史・文化、自然や水産資源、グルメ、温泉など多岐に亘る魅力的な観光資源があります。さらに、「長崎くんち」や「長崎ランタンフェスティバル」など、歴史・伝統を感じさせる知名度の高い祭・イベントもあり、 “魅力の宝庫”です。また、前述した潜伏キリシタン関連遺産に加え、「明治日本の産業革命遺産」を含めると、長崎県は世界遺産を二つ保有する県となったことも大きなアドバンテージです。最後は、全国有数の豊富な農林水産資源です。例えば、長崎県の漁獲量は北海道に次いで全国2位、海面養殖業は全国1位を誇り、水揚げされる魚種の多様性でも群を抜いています。新興国経済の成長等による食料品貿易市場の拡大や、日本食ブームもあって、水産資源の潜在的な需要は大きいと思います。また、農産品についても、ジャガイモ、レタス、玉ねぎ、びわ、温州ミカン、イチゴなどの出荷量は全国上位です。
§43
こうした農林水産品について、長崎ブランドを確立することで、更なる成長が期待できると思います。長崎県は、海外との貿易の窓口として栄えてきたという歴史に加え、成長著しいアジア諸国との距離の近さという大きなメリッ
§44
21 トも有しています。今後、ハード・ソフト両面でのインフラ整備や情報発信を一段と強化し、観光と輸出というインバウンドとアウトバウンドの双方で海外需要を取り込むことで、当地経済が一層の発展を遂げられることを祈念しまして、挨拶の言葉とさせて頂きます。ご清聴ありがとうございました。 以上