← 戻る
日本銀行講演2020年7月29日雨宮正佳, 副総裁

【講演】「最近の金融経済情勢と金融政策運営」(日本記者クラブ)

全文

§1

2020年7月29日 日本銀行 日本銀行副総裁雨宮正佳最近の金融経済情勢と金融政策運営 ── 日本記者クラブにおける講演 ── 1 1.はじめに日本銀行の雨宮でございます。日本記者クラブでお話しする機会を頂きありがとうございます。本日は、内外の金融経済情勢に対する日本銀行の見方と、感染症の影響に対応してきた3月以降の金融政策運営の考え方についてお話しします。ただし、新型コロナウイルス感染症を巡る今後の動向やその経済活動への影響については、まだ、きわめて不確実性が高い状況が続いています。金融政策面でも、今後の情勢の展開を踏まえて弾力的に対応していく必要があります。そこで、本日は、感染症の拡大が経済や物価に及ぼす影響や金融政策運営の考え方について、基本的な整理を行うことに力点を置いてお話ししたいと思います。

§2

2.新型コロナウイルス感染症の影響を受けるもとでの内外金融経済情勢(感染症の影響を受けた経済の特徴)過去、世界経済も日本経済も何度か大規模な感染症の流行を経験しました。その際の経済変動は、通常の景気循環とは異なる特徴的な推移をたどることとなります。まず、そうした経済変動の局面ごとの特徴を整理してみたいと思います。最初にくるのが、感染症の拡大局面です。今回のように重大な感染症の大流行に対しては、感染拡大を食い止めることによって、人々の健康や安全を確保することが最優先の課題となります。移動・外出の制限、営業・生産活動の停止といった厳格な公衆衛生上の措置が講じられます。こうした措置は、直接的に経済活動を止めるものであるため、経済を下押しする力はきわめて大きなものになります。次いで、感染症の急速な拡大に歯止めがかかった後の移行局面になります。感染症拡大局面で取られた厳しい措置は、少しずつ緩和されていきます。それに伴って、経済は大きく落ち込んだ状態から回復していきます。もっとも、経済がすぐに元の水準に戻るわけではありません。感染に対する警戒感が強く残るもとでは、人々は、自主的に感染予防のための取り組みを続けます。 2

§3

そのため、経済への下押し圧力は残り続けます。また、感染症が再び大規模に拡大すれば、再度、厳しい公衆衛生上の措置が取られることも考えられます。この局面では、感染症拡大局面での経済に対する大きなショックの二次的効果、すなわち、経済主体の支出スタンスへの影響についても注意が必要です。支出スタンスが大きく落ち込むことになれば、経済の回復ペースはより鈍いものとなります。一方、支出スタンスの大きな落ち込みが回避できれば、それまで抑えられていた需要、いわゆるペントアップ需要の発現などにより、経済の足取りはよりしっかりとしたものとなる可能性があります。こうした移行局面を経過したあと、やや長い目で見て、経済は「ポスト感染症」ともいうべき新しい状態に至っていくと考えられます。その時の経済がどのようなものとなるか、つまり、感染症の影響を経験することで、あるいは感染症と共存せざるを得ないような状況下で、人々の行動や経済構造にどのような変化が生じるかという点については、現在、様々な議論が行われています。この点に関する私自身の見方については、最後に改めて申し上げたいと思います。(内外経済情勢と先行きの見通し)今回の新型コロナウイルス感染症のもとでの内外経済についても、おおむね、ただいま整理したような特徴に沿った展開となっています。今年に入ってからの動きを振り返ってみたいと思います。

§4

感染症の大流行を受けて、各国は、出入国や外出の制限、営業・生産活動の停止などの感染拡大防止策を講じました。経済活動が大幅に抑制されたことから、本年前半の世界経済は大きく落ち込みました(図表1)。IMFは、最新の世界経済見通しにおいて、2020年の成長率を▲4.9%と予想しています。ちなみに、IMFが示している世界経済成長率をみると、マイナス成長に陥ったのは、1970年以降、リーマン・ショック時の▲0.1%の一回だけでした。それ以前は同じ統計がないので厳密な比較は難しいですが、IMFは、今回は、リーマン・ショックを上回る、1930年前後の世界大恐慌以来の大幅な落ち込みであるとしています。わが国でも、3月以降の感染者の増加を受けて、4月には緊急

§5

3

§6

事態宣言が発出されました。各国における出入国制限や海外経済の大幅な落ち込みから、インバウンド消費を含む輸出は大幅に減少しています。外出や営業自粛により、個人消費は、飲食・宿泊等のサービスを中心に大きく落ち込みました。実質GDPは、 1~3月に前期比年率で▲2.2%となった後、 4~6月も非常に大きなマイナスになるとみられます。このように、2020年前半は、新型コロナウイルス感染症拡大の影響を受けて、内外経済ともに、きわめて大きく落ち込みました。現在も、内外経済はきわめて厳しい状態が続いていますが、多くの国が、経済活動を徐々に再開させる取り組みを進めており、状況は多少変化しています(図表2)。グローバルな企業の業況感は、なお改善・悪化の境目である50 を割り込んでいますが、 4月をボトムに持ち直しの動きがみられます。わが国でも、5月下旬には全国的に緊急事態宣言が解除され、その後、経済活動が段階的に再開しています。6月短観をみると、企業の業況感は大幅に落ち込んでいますが、先行きをみると底打ち感がみられます。各種の高頻度データや業界統計、企業からのヒアリング情報などを踏まえると、6月以降、消費活動は、なお低水準にあるとはいえ、徐々に持ち直しに向かっているようです。

§7

現時点で、世界的にみると感染症の拡大が収まっておらず、わが国も含め、感染拡大が一旦収まった国でも再拡大のリスクが懸念されている中で、内外経済の回復への道筋がはっきりと見える状況には至っていませんが、回復に向けた移行局面には入りつつあるように思います。先行きについても、感染症の帰趨によって紆余曲折が予想されますが、大規模な感染症の第2波が発生しなければ、標準的なシナリオとしては、これから本格的に移行局面に入り、世界経済は回復に向かっていくと予想されます(前掲図表1)。IMFは、今後の世界経済について、2020年下期から回復し、2021年の成長率は+5.4%になると予想しています。わが国経済も、本年後半から徐々に改善していくとみられます。もっとも、最初に申し上げたように、感染症の影響が残るもとでは、自主的な感染防止の取り組みが、経済活動を抑制し続けるため、改善のペースは緩やかなものにとどまると考え

§8

4

§9

ています。さて、移行局面においては、感染症の経済に対する大きなショックが、企業や家計の支出スタンスに与える影響に注意が必要であると申し上げました。この点について、新型コロナウイルス感染症が、企業収益や雇用・所得に影響を及ぼすことは避けられません。しかし、今回の感染症の影響に対して、政府は、234兆円という、リーマン・ショック時を大きく上回る事業規模の経済対策を実施しています。また、後ほどご説明するように、日本銀行も金融緩和を大幅に強化して、資金繰り支援と金融市場の安定維持に努めています。こうした政府・日本銀行の対応が、事業や雇用の継続を強力に下支えしています。企業部門、家計部門について、敷衍してご説明します。まず、企業部門です(図表3)。感染症に伴う売上の減少から、企業収益は悪化しています。こうしたもとで、感染症の影響が深刻なセクターを中心に、設備投資の削減圧力は強いと考えられます。もっとも、6月短観の今年度の設備投資計画はプラスを維持しています。今後、感染症を巡る不確実な状況が続けば、計画が下方修正されていく可能性には留意が必要ですが、現時点では、収益の大幅な落ち込みに比べると、底堅いスタンスが示されています。ヒアリング情報なども踏まえると、企業は、研究開発やIT関連といった中長期的な設備投資案件の多くを継続するスタンスにあるようです。

§10

この背景には、リーマン・ショック以降、企業の財務体質の健全化が進んだため、大きなストレスに直面しても、必要な成長投資を実施する財務余力がある企業が多いことがあります。さらに、今回、政府・日本銀行の資金繰り支援措置のもとで、金融機関が企業の資金需要の増加に積極的に応えていることが、企業の設備投資の削減圧力を和らげていると考えられます。次に、家計部門です(図表4)。雇用・所得環境には、弱い動きがみられています。有効求人倍率は低下しており、失業率も3%程度まで上昇しています。一人当たり名目賃金の前年比も、足もとでは大きめの低下となっています。先行きも、当面、雇用者数は減少傾向をたどり、名目賃金も前年比マイナスになるとみられます。もっとも、経済対策で拡充された雇用調整助成金

§11

5

§12

が、雇用削減に対する歯止めとして働きます。また、政府や日本銀行の資金繰り支援策は、企業の倒産や廃業を抑制し、雇用を支える効果を持つと考えています。実際、これまでのところ、企業の倒産件数は増加していません。このように、この間の積極的なマクロ経済政策は、感染症のショックの二次的な効果をある程度抑え、企業や家計の支出スタンスを下支えする効果を持っていると考えています。しかし、1990年代の日本の金融危機の後、長期間にわたり企業行動が慎重化したように、大きなショックは、企業や家計の成長期待を低下させ、支出行動を慎重化させるリスクがあります。そうした点も意識しながら、今後の動向を注意深くみていく必要があると考えています。日本銀行は、先日の「展望レポート」で、わが国経済の成長率の見通しを公表しました(図表5)。背景にある考え方は、これまでご説明してきたとおりです。政策委員の大勢見通しは、2020年度に▲5.7~▲4.5%と大幅なマイナス成長となった後、2021年度は+3.0~+4.0%と高めの成長となり、2022年度も+1.3~+1.6%と成長が続くと予想しています。もとより、こうした見通しについては、不確実性が高く、下振れリスクが大きいと認識しています。何よりも、感染症の帰趨やそれが内外経済に及ぼす影響について、不透明感が強いと考えています。

§13

また、この見通しは、感染症の大規模な第2波の発生とそれに伴う公衆衛生上の厳しい措置の再導入といった事態が到来しないことを前提としていますが、そうした前提には不確実性があると認識しています。(リーマン・ショック時との違い)経済情勢に関する話題の最後に、今回のショックと2008年のリーマン・ショックとの違いについて、お話ししたいと思います。リーマン・ショックは、グローバルな金融バブルの崩壊により、海外の大手金融機関の破綻が相次ぎ、金融システムの機能度が大きく低下したことが問題の本質でした。金融システムの機能度低下が、実体経済を悪化させ、それが不良債権の増加という形でさらに金融システムの安定性に影響を及ぼすという、負の相乗作用が働い

§14

6

§15

たことが、問題を一層深刻にしました。一方で、今回は、新型コロナウイルス感染症の拡大が原因です。需要の減少や生産活動の停滞を受けて、企業の資金繰りに影響が生じることや、経済の先行きに対する不透明感の強まりから金融資本市場の動きが不安定になりやすい点は、リーマン・ショックと共通しています。しかし、今回、金融システムが全体として安定性を維持していることは、リーマン・ショック時との大きな違いです。リーマン・ショック以降、国際的に金融システムの頑健性を高める努力が続けられてきたことから、金融機関は資本・流動性の両面で相応に強いストレス耐性を備えています。金融システムが安定していることは、民間金融機関を通じた日本銀行や政府の資金繰り支援策の効果を発揮させやすくします。そうしたもとで、企業等の資金繰りにはストレスが加わっていますが、銀行借入やCP・社債発行などの外部資金の調達環境は緩和的な状態が維持されています(図表6)。CP・社債市場では、一時的に拡大したスプレッドは縮小しており、発行残高は高めの伸びを続けています。銀行貸出も約30年ぶりの高い伸びとなっています。リーマン・ショック時には、投資家のリスク回避姿勢の強まりからCP・社債の発行残高が前年を下回り、銀行の貸出姿勢が慎重化する中で、金融面から実体経済への下押し圧力が強まりましたが、現在、そうした事態は回避されています。

§16

先行きも、金融システムの安定性が大きく損なわれず、金融面からの下支え機能が発揮されると考えています。しかし、実体経済の悪化が長期化すれば、それが金融システムに影響を及ぼし、先ほど触れたような負の相乗作用が始まる可能性もありますので、先行きの動向を注視していく必要があると考えています。(物価情勢)ここからは、物価についてご説明します(図表7)。生鮮食品を除く消費者物価の前年比は、当面、マイナスで推移すると見込まれます。感染症の影響から、経済活動の水準が低い状態が続くもとで、景気感応的な財やサービスの価格が下押しされるほか、ひと頃に比べて大きく下落した原油価格が、エ

§17

7

§18

ネルギー価格を通じて物価を押し下げると考えられます。もっとも、エネルギー価格の影響を除いてみれば、これまでのところ、物価は小幅のプラスを維持しています。スーパーで販売されている食料品や日用品の価格は、高めの上昇率となっています。宿泊料など一部品目は大きめの下落となっていますが、現時点では、過去のデフレ期にみられたような、値下げにより需要喚起を図る価格設定行動が広範化しているようには窺われません。先行き、やや長い目でみれば、経済が改善していくもとで、物価への下押し圧力は次第に和らぎ、エネルギー価格下落の影響も薄れていくとみられます。そうしたもとで、消費者物価の前年比は、プラスに転じていくと考えています(前掲図表5)。「展望レポート」の政策委員の大勢見通しは、2020年度は▲0.6~▲0.4%、2021年度は+0.2~+0.5%、2022年度は+0.5~+0.8%となっています。このように、物価は徐々に上昇率を高めていくと考えています。もっとも、需要の急速な回復が期待しにくいもとでは、見通し期間中に、物価上昇率がモメンタムをもって2%の物価安定目標に近接していく姿を想定することは難しくなっています。以上が、最も蓋然性が高いと考えている物価の見通しですが、感染症が物価に及ぼす影響については、見極めの難しい面があります。

§19

経済学界においても、感染症の影響は、デフレ的か、インフレ的か、議論は分かれています。感染症の影響による需要の減少は、財やサービスの価格に下押し圧力を加えます。基本的には、こうした需要面を通じた影響が大きいと思っていますが、感染症は、サプライチェーンの見直しや混雑緩和のための客数制限などにより、供給面にも影響を与えます。供給面の制約が生じた場合には、価格に上昇圧力が働く可能性があります。例えば、客数制限を行った企業が、収益を確保するために、値段を据え置いたり、値上げを選択することも考えられます。このように、感染症の影響を受けて、企業がどのような価格設定行動をとるかについては、通常とは異なる不確実性があり、留意が必要です。

§20

8

§21

3.日本銀行の金融政策運営それでは次に、金融政策運営についてお話しします。日本銀行では、感染症の影響への対応として、金融政策面では、企業等の資金繰りの円滑を確保し、金融市場の安定を維持することが重要と考えています。そうした観点から、 3月以降、金融緩和を強化してきました。その内容は、次の「3つの柱」に整理できます(図表8)。1つ目は、企業等の資金繰り支援です。そのために、日本銀行では、総枠約120兆円の「特別プログラム」を導入しました。このプログラムは、①市場規模の25%に相当する約20兆円を上限とするCP ・社債等買入れと、②金融機関の企業等への貸出を促すための資金供給手段である「新型コロナ対応特別オペ」から構成されます。後者の特別オペは、日本銀行が、民間金融機関の行う新型コロナ対応融資を有利な条件でバックファイナンスするもので、その規模は最大約100兆円になり得ます。このオペには、政府の経済対策の措置である民間金融機関を通じた中小企業等への実質無利子・無担保融資との連携も含まれています。民間金融機関が当該融資を行う場合、日本銀行から有利な条件でバックファイナンスを受けることができます。2つ目は、金融市場の安定確保です。そのために、円貨および外貨をこれまで以上に潤沢かつ弾力的に供給できる枠組みを採用しました。

§22

円貨については、債券市場の安定を維持し、イールドカーブ全体を低位で安定させる観点から、これまでの年間80兆円という金額めどを撤廃し、上限を設けずに、必要な金額の国債を買入れることを明確にしました。外貨についても、主要6中央銀行の協調にもとづき、多額のドル資金を供給しています。3つ目は、資産市場におけるリスク・プレミアムの抑制です。そのための手段が、ETFおよびJ-REITの積極的な買入れです。この措置は、資産市場の不安定な動きが、企業や家計のコンフィデンス悪化に繋がることを防止し、前向きな経済活動をサポートすることを目的としています。以上の強力な金融緩和措置は効果を発揮しています。内外の金融資本市場は、経済の不透明感が強いもとで、依然、神経質な状況にありますが、ひと

§23

9

§24

頃の緊張は緩和しています。また、先ほど申し上げたように、企業の資金繰りには、引き続きストレスがかかっていますが、日本銀行・政府の各種措置とそのもとでの金融機関の積極的な取り組みから、銀行借入やCP・社債発行といった外部資金の調達環境は緩和的な状態が維持されています。さて、今回のような緊急事態への対応にあたっては、政府と中央銀行が連携して政策を行うことが効果的です。実際に、多くの国でそうした形での政策対応が行われています。日本銀行でも、その点も意識しながら、先ほどご説明したような対応を行ってきました。ただし、こうした「連携」については、財政政策と金融政策の役割を巡って、様々なご意見が聞かれるところですので、具体的に2点お話しします。一つは、国債買入れについてです。政府の積極的な財政措置と、日本銀行の金融緩和措置は、相乗効果をもたらすことが期待できます。いわゆる「財政・金融のポリシー・ミックス」の効果です。しかし、日本銀行の国債買入れは、金融政策上の目的で行っているものであり、財政資金の調達支援を目的とする「財政ファイナンス」ではありません。4月に、国債をさらに積極的に買入れることとしたのも、債券市場の安定を維持するとともに、長短金利操作を実現する観点からイールドカーブ全体を低位で安定させる、という金融政策運営上の必要に基づくものです。もう一つは、資金繰り支援における役割です。

§25

今回、政府と日本銀行は資金繰り支援のために様々な措置を講じており、政府の措置と日本銀行の資金供給手段との効果的な連携も行っています。そのうえで、ソルベンシーを意識した措置については、政府が、信用保証や資本性資金の供給といった制度を用意しています。民間金融機関を通じた実質無利子・無担保融資も、信用保証により信用リスクがカバーされる仕組みとなっています。一方、中央銀行の基本的な役割は流動性供給です。日本銀行は、この機能を用いて企業等の資金繰り支援を行っています。先行きも、こうした役割分担を踏まえた上で、中央銀行としてなすべきことを追求していく方針です。先行きについても、日本銀行としては、引き続き「3つの柱」により、資

§26

10 金繰り支援と金融市場の安定維持に努めていく方針です。そのうえで、感染症の経済・金融面への影響には大きな不確実性があることから、当面、感染症の影響を注視し、必要があれば、躊躇なく追加的な金融緩和措置を講じていく考えです。

§27

4.おわりに以上、感染症の影響を受けるもとでの経済・物価情勢と、感染症の影響に対応した3月以降の金融緩和の強化についてお話ししてきました。最後に、やや長い目で見て、感染症が人々の行動や経済構造にどのような変化を及ぼすかという議論について、私が感じている点をお話ししたいと思います。感染症を経験した後の経済については、感染症の前よりも低い水準にしか戻らないという見方があります。確かに、行動が慎重化することで、需要が減少するという面は否定できません。しかし、やや長い目で見ると、それとは異なる別の動きも浮かび上がってくる可能性があります。まず、人々の行動の変化は、新たな財やサービスの需要を産み出す面もあるということです。感染症の拡大以降、テレワークをはじめ「働き方改革」が進む機運が高まっています。教育や医療といった分野でもオンラインでの取り組みが進んでいます。そのことに伴って、デジタル化が加速すれば、ハード・ソフト両面で需要が創出されると考えられます。個人消費の面では、宅配サービスに対するニーズが高まるといった変化が生じています。サプライチェーンの見直しの機運も高まると考えられます。今後、効率性だけではなく、安全性や危機管理も念頭に置いたサプライチェーンの再構築の動きが出てくるでしょう。その際、工場などの国内回帰によって需要が産まれることもあり得ます。

§28

また、今回の問題をきっかけに、感染予防のための情報通信技術の活用や、新たな需要に対応した投資などが、イノベーションの促進につながる面もあると考えられます。情報通信技術の持つ力については、これまでもその重要性が指摘されていました。今回、感染予防という観点からではありますが、

§29

11

§30

一段とその活用が進んだように思います。こうした変化の中で、生産性の向上につながる取り組みについては、感染症の収束後もさらに前に進めていくことが必要だと考えています。今般の感染症の経験は、キャッシュレス化・決済のデジタル化への関心をさらに高めることを通じて、決済システムの面でもイノベーションを促す可能性があります。日本銀行としても、デジタル社会に相応しい決済システムのあり方をしっかりと考える必要があります。この点に関して、中央銀行が発行するいわゆる「中銀デジタル通貨」も重要な検討課題の一つです。日本銀行では、現時点で中銀デジタル通貨を発行する計画はありません。ただし、技術動向などの環境変化は、非常に速いものがありますので、将来必要になった時に的確に対応できるように準備する観点から、一段ギアをあげて検討を進めていく必要があると考えています。そのため、具体的には、先週、こうした検討を専門に担当する「デジタル通貨グループ」という部署を新たに設置したところです。このグループでは、実証実験等を通して、中銀デジタル通貨の機能特性や技術面からみた実現可能性について理解を深めていくとともに、海外中銀や内外の関係諸機関と連携をとりながら、中銀デジタル通貨に関して検討を進めていく方針です。感染症の影響による行動変化には、新たな需要の創出やイノベーションの促進につながるポジティブな面もあります。

§31

こうしたポジティブな変化をどれだけしっかりと捉えていけるかが、長い目で今後の経済を展望する際の鍵となります。そのためにも、日本銀行としては、現在の局面で、緩和的な金融環境を維持し、金融・経済の安定を確保することが重要と認識しています。また、そのことは、わが国経済が再び確かな成長軌道へ回復していくためにも大切なことであると考えています。ご清聴ありがとうございました。

§32

以上 最近の金融経済情勢と金融政策運営2020年7月29日日本銀行副総裁雨宮正佳― 日本記者クラブにおける講演 ―IMFの世界経済見通し(6月)(出所)IMF図表12.内外金融経済情勢-6-5-4-3-2-101234560002040608101214161820(前年比、%)年リーマン・ショック-0.1% 2020年:-4.9%2021年:+5.4%IMF見通し大恐慌時(1929~32年)の落ち込み:約-10%1

§33

企業の業況感(注)左図は、製造業は、J.P.Morganグローバル製造業PMI。サービス業は、J.P.Morganグローバルサービス業PMI事業活動指数。(出所)IHS Markit(© and database right IHS Markit Ltd 2020. All rights reserved.)、日本銀行図表2業況判断DI(短観)グローバルPMI-60-40-2002040181920全産業製造業非製造業(「良い」-「悪い」、%ポイント)年良い悪い企業の予測2.内外金融経済情勢202530354045505560181920製造業サービス業(季節調整済、DI)年2企業部門(注)1. 左図は、法人季報ベース。金融業、保険業を除く。2009/2Q以降は、純粋持株会社を除く。2. 右図の短観は、ソフトウェア投資額・研究開発投資額を含み、土地投資額は含まない(2016/12月調査以前は、研究開発投資額を含まない)。全産業+金融機関・持株会社等の値(2020/3月調査以前は、持株会社等を含まない)。

§34

(出所)財務省、内閣府、日本銀行図表3設備投資計画企業収益2.内外金融経済情勢3-20-15-10-5051015200507091113151719GDP民間企業設備投資(名目)短観(実績)短観(6月調査時点の当年度計画値)年度(前年比、%)012345670507091113151719売上高経常利益率売上高営業利益率(季節調整済、%)年

§35

家計部門(注)右図の各四半期は、1Q:3~5月、2Q:6~8月、3Q:9~11月、4Q:12~2月。2016/1Q以降は、共通事業所ベース。(出所)総務省、厚生労働省図表4名目賃金労働需給2.内外金融経済情勢0.40.60.81.01.21.41.61.82345670507091113151719失業率(左目盛)有効求人倍率(右目盛)(季節調整済、%)年(季節調整済、倍)-6-4-202091011121314151617181920所定内給与所定外給与特別給与名目賃金(前年比、%)年4日本銀行の経済・物価見通し(7月)図表5(注)1. 「大勢見通し」は、各政策委員が最も蓋然性の高いと考える見通しの数値について、最大値と最小値を1個ずつ除いて、幅で示したもの。ただし、4月見通しでは、各政策委員が最大1.0%ポイントのレンジの範囲内で見通しを作成している。2. 2020年度の消費者物価への消費税率引き上げの影響は+0.5%ポイント、教育無償化政策の影響は-0.4%ポイント程度。(出所)日本銀行── 日本銀行政策委員の大勢見通し、対前年度比、%。<>内は見通しの中央値。

§36

実質GDP 消費者物価指数(除く生鮮食品)2020年度 -5.7 ~ -4.5<-4.7>-0.6 ~ -0.4<-0.5>4月見通し -5.0 ~ -3.0 -0.7 ~ -0.32021年度 +3.0 ~ +4.0<+3.3>+0.2 ~ +0.5<+0.3>4月見通し +2.8 ~ +3.90.0 ~ +0.72022年度 +1.3 ~ +1.6<+1.5>+0.5 ~ +0.8<+0.7>4月見通し +0.8 ~ +1.6 +0.4 ~ +1.02.内外金融経済情勢5

§37

企業金融図表6民間銀行貸出残高CP発行残高社債発行残高(注)横軸の0か月は、新型コロナウイルス感染症は2020/3月、リーマン・ショックは2008/9月。(出所)証券保管振替機構、日本証券業協会、アイ・エヌ情報センター、日本銀行2.内外金融経済情勢-50-40-30-20-10010203040-12 -8 -404812新型コロナウイルス感染症リーマン・ショック(末残、前年比、%)か月-10-505101520-12 -8 -404812(末残、前年比、%)か月-2-101234567-12 -8 -404812(平残、前年比、%)か月6消費者物価図表7(注)2014/4月の消費税率引き上げの影響を除く。(出所)総務省2.内外金融経済情勢-1.0-0.50.00.51.01.52.014151617181920消費者物価指数(除く生鮮食品)消費者物価指数(除く生鮮食品・エネルギー)(前年比、%)年7

§38

日本銀行の新型コロナ対応企業等の資金繰り支援新型コロナ対応資金繰り支援特別プログラム:総枠約120兆円+αCP・社債等の買入れ:残高上限約20兆円(従来は約5兆円)新型コロナ対応金融支援特別オペ:約100兆円3.日本銀行の金融政策運営図表8金融市場の安定確保円貨および外貨を潤沢かつ弾力的に供給国債のさらなる積極的な買入れ:無制限米ドル資金供給オペ拡充:無制限資産市場におけるリスク・プレミアムの抑制ETF・J-REITの積極的な買入れETF :年間約6兆円ペース → 当面、上限年間約12兆円ペースJ-REIT:年間約900億円ペース → 当面、上限年間約1,800億円ペース8(了)