【挨拶】「わが国の経済・物価情勢と金融政策」(長崎県金融経済懇談会)
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日本銀行政策委員会審議委員野口旭日本銀行2024年10月3日わが国の経済・物価情勢と金融政策── 長崎県金融経済懇談会における挨拶要旨 ──
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11.はじめに日本銀行の野口です。本日は、県各界を代表する皆さまとの懇談の機会を賜り誠に有り難く存じます。皆さまには、日本銀行長崎支店の業務運営に日頃より多大なご協力をいただいており、この場をお借りして厚く御礼申し上げます。本日はまず私の方から、国内外の経済動向と日本銀行の政策運営についてお話しし、その後に、 2%の「物価安定の目標」を達成して賃金と物価の好循環を実現することの意義について、私見を交えてお話しさせて頂きます。その後は皆さまから、当地の経済状況についてのお話、さらには私どもの政策・業務運営に対する忌憚のないご意見を承りたく存じます。2.経済・物価情勢(1)内外経済情勢わが国経済は今、コロナ禍以降に始まった世界的インフレを契機として、 1990年代末から続いてきたデフレあるいは低インフレからの転換が順調に進展し、2% の「物価安定の目標」が持続的・安定的に達成されるに至るのかどうかという意味で、きわめて重大な転換点にさしかかっています。それは、今後の内外経済情勢、およびその背後にある政策動向に依存しています。海外の多くの国・地域では今、経済の脱コロナ禍に伴って生じていた高インフレが収束しつつある中で、政策的には経済成長の維持に重点を移す動きが強まりつつあります。米欧の主要中央銀行はこれまで、インフレ抑制のために高めの政策金利を継続してきました。
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この持続的金融引き締めによって経済に減速傾向が現れ始めたことから、各中央銀行は今、政策金利を徐々に引き下げ始めています。とはいえ、不動産部門の調整に苦しむ中国を除けば、多くの国・地域における経済減速度合いはきわめてマイルドであり、失業率の大きな上昇を伴わずに高インフレが収束しつつあるという意味で、きわめてソフト・ランディングな形でのインフレ抑制が達成されつつあります(図表 1 )。
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2米国では、8月初頭に発表された 7月雇用統計が市場の事前予想を下回ったことから、景気悪化懸念が急激に強まり、直後には突発的なドル安と株安が生じました。しかし、その後は米国経済の底堅さを示す指標が相次いだこともあり、市場の混乱は一時的なものに終わっています。こうした一時的あるいは局所的な混乱はあっても、世界経済は、総じてみれば緩やかに成長しており、来年以降も、物価の落ち着きと金利の低下に支えられつつ、潜在的な成長経路に沿った動きを続けると思われます(図表 2 )。わが国経済をみると、GDP の前期比上昇率(年率換算)は、 2023年7-9月期は 4.3%減、同 10-12月期は 0.2%増、そして 2024年1-3月期には 2.4%減と、やや足踏み的状況が続いていましたが、 2024年4-6月期には 2.9%増となり、緩やかな上昇基調に転じたように見えます(図表 3 )。とりわけ、 2023年4-6月期以来マイナスが続いていた個人消費がやや高めのプラスとなった点は、前期からの反動という面も大きいとはいえ、実質賃金低下による実質消費の押し下げがようやく和らぎつつある可能性を示唆しています。実質賃金上昇率は足元ではプラス方向に向かいつつあることから(図表4)、個人的には、今後は個人消費も拡大基調がより明確になるのではないかと考えています。(2)物価情勢次に国内の物価情勢です。
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日本ではコロナ禍以降、世界的インフレの影響を受けた輸入財価格の上昇によって、典型的なコストプッシュ型インフレが生じていました。そのことはとりわけ、消費者物価へのエネルギー価格さらには食料品価格の高い上昇寄与として現れていました。しかし、世界的インフレの収束に伴って輸入財の価格上昇が緩やかになり、エネルギーや食料品の価格上昇も落ち着き始めたことで、足元の消費者物価上昇率は「除く生鮮食品」で 2%台後半、「除く生鮮食品・エネルギー」で2%前後となっています(図表5)。このように輸入物価上昇の影響が縮小しつつある中で着実に上昇基調を高めてきたのが、サービス価格です。これは、日本のサービス価格が 1990年代以降、低下はしても上昇はほとんどしてこなかったという事実を踏まえると、きわめ
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3て画期的です。日本でこれまでサービス価格が上昇しなかったのは、端的にいえば、そのコストの大宗を占める賃金がその間に上昇してこなかったためです。近年のサービス価格の上昇には、輸入食材価格上昇を背景とした外食価格上昇などの寄与が大きいものの、 30 数年ぶりに生じた賃金上昇も徐々に反映されつつあります 1。賃金の価格転嫁が消費者向けサービスよりも容易とされている企業向けサービス価格の最近の動向には、そうした傾向がより明確に見て取れます(図表 6 )。これは、輸入物価上昇の価格転嫁という物価上昇の「第一の力」が、賃金上昇を背景とした物価上昇という「第二の力」に徐々に置き換わりつつある実態を示唆しています(図表 7 )。3 .金融政策(1)大規模金融緩和政策の転換とその意義次に金融政策についてです。日本経済は 1990年代末以降、物価と名目賃金が低下し続ける中で成長と雇用の低迷が続く、のちに日本病と呼ばれるような経済状況に陥りました。この長期デフレを克服し、 2%の「物価安定の目標」を実現するために、日本銀行は 2013年4月から、大規模金融緩和政策としての「量的・質的金融緩和」を導入しました。その後は、経済・物価情勢に応じた金融緩和強化のために、 2016年1月には「マイナス金利付き量的・質的金融緩和」を、同年9月には「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」を導入しました。
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その結果、コロナ禍以前には、需給ギャップのプラス幅は拡大し、雇用状況も大きく改善しました(図表 8 )。また消費者物価上昇率も、 2% 目標には届かないまでも、少なくともそれ以前のようにマイナスが続くことはなくなりました。日本銀行は本年3月の政策決定会合において、 2% の「物価安定の目標」が持続的・安定的に実現していくことが見通せる状況に至ったと判断して、これら非1 この点の詳細は、以下を参照して下さい。尾崎達哉・八木智之・吉井彬人( 2024)「消費者物価における最近の企業のサービス価格設定行動」(日銀レビュー、 2024-J-11)
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4伝統的な金融緩和政策を停止し、短期市場金利の操作を通じて金融緩和の度合いを調整する伝統的な政策枠組みに移行しました(図表 9 )。それは第一に、コロナ禍後に生じた世界的インフレの影響により、日本の物価上昇率も2% を上回る状態が続き、それが物価の基調をも引き上げ始めたからです。そして第二に、コロナ禍からの経済回復の中で、それ以前から顕在化していた労働需給の逼迫がより強まり、名目賃金の明確な上昇が生じ始めたからです。これは、日本経済が、ほぼゼロの物価および賃金上昇率が常態化していた、後述する「ゼロノルム経済」からようやく離脱しつつあることを意味します。日本銀行は今後、消費者物価の上昇率が賃金上昇を伴いながら 2%近傍で安定しつつあることを慎重に見極めながら、現状の金融緩和を徐々に調整していくことになります。その第一義的な目的は、 2% 程度の物価上昇が安定的に実現されているような潜在的成長経路に、可能な限り円滑な軌道を通じて到達することです。3月の決定は、その緩和調整の役割は、もっぱら政策金利としての短期市場金利が担うことを意味しています。大規模金融緩和の転換には、もう一つ副次的な効果があります。それは、その政策によって大きな制約を受けていた金融市場の自由度を、市場の混乱を招かない形で回復させることです。
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日本銀行はこれまで、量的・質的金融緩和、マイナス金利、長短金利操作といった政策によって、国債市場への関与を強めてきました。それは、本来の政策金利である短期市場金利がほぼその下限に達する中で、金融環境に影響を及ぼす経路を主として長期金利に求めてきたためです。その結果、日本銀行はそのバランスシートの資産側に多額の国債を抱え持つことになりました。3月の政策転換以降、長期金利およびイールドカーブの形成は、もっぱら市場に委ねられています。したがって日本銀行としては、その市場の国債取引が多くの参加者によって十分な厚みをもって行われていくように、国債買入れを徐々にではあれ減らしていく必要があります。重要なことは、こうして行われる国債買入れの減額は、あくまでも市場の厚みの回復が目的であり、バランスシート縮小それ自体のためでも、金融緩和調整の
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5ためでもない、という点です。まず、短期市場金利がもっぱら金融調節運営を通じて誘導・維持されていた世界金融危機以前の「希少な準備預金」の時代とは異なり、現在は短期金利が中央銀行当座預金への付利を通じてコントロールされており、政策運営は基本的にバランスシートからは独立しています。また、仮に国債買入れ減額の多寡によってある程度の金融引き締めや緩和効果が生じたとしても、その影響は最終的には短期市場金利の調整によって吸収されます。つまり、この政策手段の観点からは、大規模金融緩和からの出口は既に終了しているといえるのです。( 2 )長期国債の買入れ減額とその基本的な考え方日本銀行は 7月の政策決定会合で、市場参加者との意見交換も踏まえ、2026年3月までの長期国債買入れ減額計画を決定しました(図表 10)。その基本理念は、「予見可能性と柔軟性の両立」にあります。この予見可能性は、「月間の長期国債の買入れ予定額を原則として毎四半期 4千億円程度ずつ減額する」という計画そのものに具現化されています。これは、長期金利の形成が市場に委ねられた以上、今後は政策的な意図による国債買入れの増減は生じないことを意味します。他方で、市場急変時には買入れ額を機動的に変更するといった部分では、その計画には一定の柔軟性も担保されています。
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それは、市場の回復が重要とはいっても、それがむしろ市場の攪乱を助長あるいは放置する結果になっては無意味だからです。今回の計画のもう一つの注意点は、その暫定性にあります。それは、わが国における中央銀行バランスシートの最適な規模を現時点で確定することが困難なためです。その規模がどの程度であれ、わが国の場合には、 2026年3月までにそこに到達する可能性はほぼありません。そのため、今回の計画は必然的に、それ以降の延長を視野に入れた暫定的なのものとなります。上述のように、「潤沢な準備預金」を前提とした現在の政策レジームでは、仮に日本銀行のバランスシートが現状のままであったとしても、政策運営には何ら制約や障害は生じませ
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6ん。したがって、バランスシートの縮小は十分な時間をかけて慎重に進めていくことが可能であり、それが市場の安定にとっても望ましいといえます。( 3 )政策金利調整とその運営における課題日本銀行はまた、 7月の政策決定会合で、政策金利を 0.15% 程度引き上げ、「無担保コールレート(オーバーナイト物)を 0.25% 程度で推移するよう促す」ことを決定しました。なお、後述の理由から、私自身はこの決定に反対しました。この決定の後に、市場では円高と株安が進行し、その直後に明らかになった米国の雇用状況悪化によって、その動きはさらに加速しました(図表 11)。結果としてみると、この7月の政策金利引き上げは、 1987年10月に起きたブラックマンデーの再来を思わせる急激な株価下落の要因のひとつとなりました。この市場攪乱の原因については既にさまざまな議論がありますが、私自身は、問題の根底には「経済の現状に関する日銀自身の見方」と「その日銀の見方についての市場の認識」との間の齟齬があったのではないかと考えています。この7月の政策決定は、私を含む少数の異論はあったものの、日本銀行のこの時点のおよそのコンセンサスが、「経済・物価はこれまで日本銀行が示してきた見通しどおり展開しており、輸入物価が上昇するなかでの物価の上方リスクも考慮すると若干の緩和縮小が適切」というものであったことを意味しています。
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ちなみに私自身は、「賃金上昇の浸透による経済状況の改善をデータに基づいてより慎重に見極める必要がある」という観点から、この利上げには反対しました。それは私が、物価の基調はまだ2%に届かず、インフレ期待も2%にアンカーされていない以上、日本経済は依然として下方リスクにより脆弱であると考えていたためです。私は他方で、状況は着実に進展しているため、今後のデータ次第では遠からず政策金利の調整が必要になる可能性はあるとも考えていました。その後の市場の混乱は、この日本銀行のコンセンサスが市場には必ずしも十分に浸透してはいなかったことを示唆しています。市場はおそらく、「日銀は景況をかなり弱めに見ている」と考え、したがって利上げのペースもきわめて慎重
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7なものになると考えていたはずです。日本銀行の 7月会合での決定とそこでの見通しの提示が市場に材料視されたのは、それがこの「日銀の見方についての市場の認識」とは大きく食い違っていたためと理解されます。この経験からは、主に二つの課題が浮かび上がってきます。その第一は、政策運営に際しては、市場の側が「政策の背後にある日銀の考え方」をどう捉えているのか十分に把握しておくことが必要という点です。第二は、経済状況の進展などによって日本銀行のコンセンサスに変化が生じ、市場が把握するそれとの間に大きな齟齬が生じる可能性がある場合には、そのギャップを埋めるべく、日本銀行の側から可能な限り丁寧なコミュニケーションを行う必要があるという点です。今後の政策変更が市場の無用な混乱に結びつかないようにするためには、そのようなコミュニケーション上の努力が必要不可欠と考えます。4.「ゼロノルム経済」からの離脱に向けて(1)名目的低成長と物価・賃金のゼロノルム日本経済は 1990年代初頭のバブル崩壊以来、コロナ禍からの回復が始まった2021年頃まで、物価と賃金がほとんど上昇せず、名目 GDP もほとんど伸びないような「名目的低成長」の状態にありました(図表 12)。確かに、 2013年春からの大規模金融緩和によって、完全失業率はコロナ前にはほぼ完全雇用に近いと思われる水準にまで低下しました。
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にもかかわらず、名目賃金はバブル期以前のような明確な上昇基調に戻ることはなく、物価も2%目標に届くことはありませんでした。それはおそらく、 1990年代後半からの長期デフレを通じて、物価・賃金のゼロノルム、すなわち「物価も賃金も上がらないことを当然とする通念」が企業や家計に強く根付いてしまったためです。物価・賃金のノルムとは、「物価や賃金がどう動くのかに関する、人々が暗黙に抱いている通念」を意味します。その概念は、 1980年代初頭に米国の経済学
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8者アーサー・オークンによって提起されました 2。この提起の核心は、「物価や賃金の動向は、人々が抱く物価・賃金観に大きく左右される」という点にあります。この観点によれば、「日本の物価や賃金が上がらないのは、人々がそれを当然と考えているため」ということになります。これは、日本経済が 2% の「物価安定の目標」の達成を通じて名目的低成長を克服するためには、何よりも物価・賃金のゼロノルムからの離脱が必要ということを示唆します。(2)インフレ率と価格硬直性との関係物価や名目賃金には本来、硬直性や粘着性と呼ばれる、上方にも下方にも動きにくい性質があります。他方で、市場における需要・供給要因の変化は、価格を絶えず変化させるように作用します。したがって、個々の財・サービスの価格が実際にどの程度の硬直性あるいは変化を示すのかは、この両者すなわち価格を固定化させる要因と変化させる要因との強弱関係に依存します。そしてこれは、「価格の硬直性は一般にインフレ率がより低い経済においてより強まる」ことを示唆します。というのは、より高いインフレ率とは、例えば人々の所得上昇といった、価格を上方に変化させる要因がより強いことを意味するからです。このインフレ率と価格硬直性との関係は、消費者物価上昇率のトレンドが日本よりも高い他の先進国と比較すれば容易に確認できます。
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例えば日米間で価格変動率の品目別分布を比較してみると、コロナ禍以前( 2019年9月)では、分布の「山」の位置だけではなく、そのばらつきも大きく異なっています(図表13)。すなわち、日本では変動率がゼロの位置に多くの品目が集中し、かつその集中度合いが高いのに対して、米国ではプラス 2%前後の変動率に最も多くの品目が集中しつつも、その集中度合いは低く、全体として価格変動のばらつきが大きくなっています。2 Arthur M. Okun (1981), Prices and Quantities: A Macroeconomic Analysis , TheBrookings Institution.
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9ここでさらに注目すべきは、コロナ禍以降( 2023年12月)には日米両国ともにインフレの進行を反映して価格変動分布が右にシフトしていますが、日本では分布の形状自体もまた大きく変化しているという点です。すなわち、コロナ禍以前と比較して価格変動率ゼロ品目の集中度合いが大幅に低下する一方で、変動率 2 〜4% の位置に新たな「山」が形成され始めています。これは、コロナ禍後の世界的なインフレ圧力が、日本のデフレ不況期を通じて強まっていた財・サービスの価格硬直性を弱めるように作用したことを示唆しています。実際、コロナ禍後の日本では、財とサービスともに価格変動率ゼロ品目の比率は低下し、価格改定頻度は増加しています(図表 14)。これは、日本経済の根強いゼロノルムが、今まさに崩れ去ろうしている可能性を示しています。この日本の経験が示すように、物価上昇率が平均的に低い経済では、財やサービスの価格硬直性がより強く顕在化します 3。しかし、日本よりも基調的インフレ率が高いアメリカにおいてさえ価格変動率ゼロ品目の山は相応に高いという事実が示すように(図表 13)、価格を固定化させる要因それ自体は、インフレ率のいかんにかかわらず普遍的に存在しています。
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そうした要因としては、価格改定におけるメニュー・コスト、また企業の価格設定における競合他社との戦略的補完性や顧客向け価格規範の遵守といったものが考えられます 4。財やサービス3 この点を日本のデフレ期に即して最初に指摘したのは、以下の論文です。渡辺努・渡辺広太( 2016)「デフレ期における価格の硬直化:原因と含意」(日本銀行ワーキングペーパーシリーズ、 No.16-J-2)4 企業の価格設定行動にはしばしば価格引き上げを可能な限り避けようとする力が働くことは、古くから屈折需要曲線という概念によって説明されてきました。その背後には通常、戦略的補完性と呼ばれる競合他社への対抗戦略が存在すると考えられています。オークンはそれに対して、企業が価格引き上げを引き下げよりも強く忌避する理由を、それによって生じる顧客との信頼関係毀損への怖れに求めています。また根岸隆は、その需要屈折の原因を、顧客に対する情報伝達の非対称性に求めています。Okun 前掲書 ch.4、根岸隆( 1980)『ケインズ経済学のミクロ理論』日本経済新聞社、第5章。
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10の価格上昇とは、企業が価格を適切な水準にまで引き上げた場合に得られる利益が、これら価格引き上げの不利益を上回っていることを意味します。( 3 )ゼロノルムからの離脱がなぜ必要かデフレそして低インフレが続く中での停滞という経済状況は、これまでしばしば日本病と呼ばれてきました。低いインフレ基調の下で価格硬直性が強まり、それが「価格は上がらないのが当然」といったある種の規範になってしまった日本の経験は、まさにその「病」の本質を示しているのかもしれません。それは端的にいえば、価格が動かないゼロノルム経済では、価格の動きがそのインセンティブを通じて経済全体でのより適正な資源配分を実現させるという、価格の持つ本来的な役割が機能しにくくなるということです。市場経済においては、生産性上昇によるコスト構造の変化が絶えず生じていますが、その影響は通常は価格の変化を通じて調整されていきます。例えば、技術改善によって省力化が進み、生産コストが低下した商品は、省力化が進みにくい商品に対して、価格が相対的に低下していきます。実際、多くの国では、サービスの価格上昇率は財のそれをほぼ常に上回っています(図表 15)。それは、省力化がより進みにくいサービス分野に労働等の生産資源を引きつけるためには、その相対価格がより高まっていく必要があるためです。
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ところが、デフレと低インフレが定着して以降の日本経済では、とりわけサービス分野で価格硬直性が強まっていたために(図表 14)、こうした相対価格調整が十分に働きませんでした。それは、企業が価格の引き上げを極力忌避し、もっぱらマークダウンといわれるような「賃金などの可変的コストの抑制」によって収益を確保しようとしたためです 5。その結果定着した経済のあり方は、その後は「コストカット型経済」とも呼ばれるようになりました。5 この点については以下の論文を参照して下さい。青木浩介・高富康介・法眼吉彦( 2023)「わが国企業の価格マークアップと賃金設定行動」(日本銀行ワーキングペーパーシリーズ、No.23-J-4)
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11日本経済でも 2010年代後半になると、労働需給の逼迫が強まり、人手不足が喧伝されるようになっていきます。にもかかわらず、賃金は容易に上がらず、労働集約的なサービスの価格が十分に上昇することもありませんでした。それはおそらく、デフレと低インフレが続いた中で、物価も賃金も上がらないという通念が消費者や経営者の意識の中に強固にビルトインされてしまったためです。この物価・賃金のゼロノルムはまた、日本経済のサプライサイドにも悪影響を与えたと考えられます。というのは、賃金上昇とは企業にとってはコストの上昇そのものですが、それは同時に省力化や生産性向上のための技術開発や設備投資を促す圧力ともなるからです。逆にいえば、賃金が抑制されれば生産性向上のインセンティブはそれだけ失われます。かつては技術大国と呼ばれていた日本の技術的低迷の一因は、あるいはそこにあったのかもしれません。( 4 )新たな物価・賃金観の確立に向けて以上のように、デフレと低インフレの中で日本経済に深く固着した物価・賃金のゼロノルムは、人々の実質所得が生産性上昇を背景として着実に上昇し続けるという、日本でも 1980年代までは確かに続いていた成長の実現を妨げてきました。その状況の転換にはおそらく、家計や企業における、物価や賃金のあり方に関する新たなマインドセットの確立が必要です。
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日本ではデフレや低インフレが常態化したことで、物価も賃金も上がることはないという認識が拡がりました。このようなマインドセットが強まれば、消費者は値上げをより強く拒絶し、経営者は賃上げをより強く忌避するようになります。それは、その後の物価や賃金をさらに硬直的なものにします。まさしくこれがゼロノルムです。逆に、物価や賃金が実際に動き始め、人々のマインドセットがその状況に適応できるようになれば、経済の柔軟性はより高まり、適正な資源配分や生産性向上に向けた動きがより力強く拡大していきます。世界的インフレの影響から、日本でも既に2年以上にわたって 2%を越える消費者物価上昇が続いています。その中で、これまで 30年近くほとんど上がる
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12ことのなかった名目賃金も、明確な上昇軌道に乗り始めています。特別給与の増加による一時的な面があるとはいえ、この6月にはようやくプラスの実質賃金上昇が実現されました(図表 4 )。そうした中で、日本の企業経営者の意識も、「値上げができないから賃上げなど無理」というものから、「値上げや賃上げも必要な場合には行う」というものに変わりつつあり、経営者の側もその状況変化を肯定的に受け入れつつあるように見えます(図表 16)。しかしながら、このインフレ下で続いていた実質消費の停滞が示唆しているように、消費者の側にはまだ、価格は上がらないのが当然という意識が根強く残っているようにも見えます。私自身は、そうした意識が薄らぎ、 2% の「物価安定の目標」と整合的なマインドセットが社会全体で確立されるまでには、まだ相応の時間が必要と考えています。そして、それまでは何よりも、緩和的な金融環境を忍耐強く維持し続けることが重要と考えます。5.おわりに ―― 長崎県経済について ――最後に、長崎県経済について、支店からの報告も踏まえてお話しいたします。長崎県経済は、緩やかに回復しています。個人消費は、物価上昇の影響が一部にみられるものの、雇用・所得環境の改善に支えられて緩やかに回復しています。また、基幹産業である観光も、回復が続いています。
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設備投資や住宅投資は、大規模な再開発プロジェクトや企業誘致の波及効果が一巡してはいますが、高水準を維持しています。賃上げの動きは当地企業にも広がっており、連合長崎に加盟する労働組合の2024年の賃上げ率は、データのある 2013年以降で最高の 5.3%となっています。輸入物価の上昇から始まった企業の価格設定行動の変化は、景気の緩やかな回復と人手不足の強まりを受けて賃金にも波及しています。緩やかな経済の回復が続いていくためには、今後もこうした物価と賃金が循環的に上昇していくことが重要です。
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13この間、足元の人手不足の高まりは、かねてから指摘されてきた県外への労働人口の急速な流出と相まって、需要の取りこぼしにもつながっています。西九州新幹線の開業や JR 長崎駅周辺の大規模再開発、感染症の影響緩和後の各種イベントの再開、クルーズ船の寄港回数の回復、豊かな農水産物、有形・無形の文化や美しい自然、異国情緒あふれる街並み、当地を舞台とした映画やテレビドラマ、アニメの放映効果などに後押しされて、当地は多くの観光客で賑わっていますが、人材不足から営業時間の制約が生じたり、企業が計画していた設備投資を実行できなかったりするケースも生じています。こうした中で、当地企業は、限られた労働力で収益を確保するため、 IT技術の活用やDXの推進等の省人化投資を行う一方で、行政もサポートしながら半導体関連企業の誘致や、当地で培われてきた造船技術を活用できる航空機関連産業、再生可能エネルギー関連産業といった、次の成長分野と見込まれる産業に人的リソースを振り向ける取り組みを行い、徐々に産業構造の転換を図っています。県内大学や高校も、情報技術系の学部新設やカリキュラムの充実により、これに対応する人材の育成に取り組んでいます。日本の西端に位置する当地は、県内に色濃く残るキリスト教信仰や明治期の産業革命関連の世界文化遺産に見られるように、古くから海を介して諸外国の文明・文化をいち早く取り込んできました。
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日本経済が新たな局面に向かって動き出す中、当地で培われた環境変化への柔軟な適応力と、これを経済や文化的な発展に結びつける創造性を発揮して、当地経済がさらなる発展を遂げることを期待しています。ご清聴、ありがとうございました。以上
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わが国の経済・物価情勢と金融政策2024年10月3日日本銀行政策委員会審議委員野口旭── 長崎県金融経済懇談会における挨拶 ──海外経済(注)消費者物価指数は、総合。(資料) BLS、Eurostat、NBSC、ONS図表1消費者物価指数失業率024681012141618192021222324米国ユーロ圏英国中国(%)年-202468101218192021222324米国ユーロ圏英国中国(前年比、%)年
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世界経済見通し(IMF)(注) 2024年7月見通し。
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(資料) IMF図表2世界経済成長率主要国・地域の経済成長率2023年2024年[見通し ]2025年[見通し ]8.24.30.70.71.51.51.04.30.50.14.44.55.24.12.52.61.91.94.54.66.57.05.00.93.33.23.31.71.71.8新興国・途上国中国インドASEAN-5世界全体先進国米国ユーロ圏英国日本(前年比、%)-4-3-2-101234567800020406081012141618202224(前年比、%)00年IMF見通し1990~ 2019年平均:+ 3.6%実質GDP(資料)内閣府図表3前期比年率前期比4-6月期 7-9月期 10-12月期 1-3月期 4-6月期0.13.0財貨・サービスの輸入 1.71.4-2.0-1.2-0.2-1.12.1-2.61.70.8-0.5民間住宅民間企業設備-4.11.32.0公的需要-2.5-0.8-1.1-0.10.0-0.3 -0.3-0.2-4.60.10.8-0.90.1 -0.4-1.0国内需要 -1.00.7-0.8 -0.60.92023年-0.10.81.5財貨・サービスの輸出 3.2民間最終消費支出2024年-1.10.1国内総生産(GDP) 0.7 -0.60.7民間需要(季節調整済、前期比、%)-35-30-25-20-15-10-5051015202520212223国内需要純輸出実質GDP(季節調整済、前期比年率、%)年24
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賃金の上昇率図表4(注)消費者物価は、持家の帰属家賃を除く総合。(資料)厚生労働省、総務省-5-4-3-2-1012345618192021222324実質賃金名目賃金消費者物価(前年比、%)年消費者物価図表5(資料)総務省-2-1012345192021222324エネルギー食料品財(除く食料品)サービスCPI(除く生鮮食品)CPI(除く生鮮食品・エネルギー)(前年比、%)年 企業向けサービス価格(注)消費税を除くベース。(資料)日本銀行図表6指数前年比808590951001051101151201250005101520総平均高人件費率サービス低人件費率サービス年( 2020年= 100)-5-4-3-2-10123450005101520総平均高人件費率サービス低人件費率サービス年(前年比、%)物価上昇に作用する2つの力図表7
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国内経済(注)需給ギャップは、日本銀行スタッフによる推計値。短観加重平均DI(全産業全規模)は、生産・営業用設備判断DIと雇用人員判断DIを資本・労働分配率で加重平均して算出。2003年12月調査には、調査の枠組み見直しによる不連続が生じている。(資料)総務省、日本銀行図表8需給ギャップ失業率と就業者数62636465666768234560005101520失業率(左目盛)就業者数(右目盛)(季節調整済、%)(季節調整済、百万人)年-40-30-20-10010203040-8-6-4-2024680005101520資本投入ギャップ(左目盛)労働投入ギャップ(左目盛)需給ギャップ(左目盛)短観加重平均DI(右目盛)(%)(「過剰」-「不足」、%ポイント、逆目盛)年企業の予測 最近のデータやヒアリング情報から、賃金と物価の好循環の強まりが確認されてきており、先行き、「展望レポート」の見通し期間終盤にかけて、 2%の「物価安定の目標」が持続的・安定的に実現していくことが見通せる状況に至ったと判断。マイナス金利政策やイールドカーブ・コントロールなどの大規模な金融緩和は、その役割を果たしたと考えている。 引き続き「物価安定の目標」のもとで、その持続的・安定的な実現という観点から、短期金利の操作を主たる政策手段として、経済・物価・金融情勢に応じて適切に金融政策を運営する。
§33
長期金利金融政策の枠組みの見直し( 2024年3月)短期金利(無担保コールO/N物)(金融市場調節方針)0~ 0.1%程度で推移するよう促すETF・J-REIT 新規買入れを終了(▲ 0.1~0%で推移)0.01.0%3月決定会合長期金利の上限の目途<従来><今後>長期金利が急激に上昇する場合には、機動的に、買入れ額の増額等で対応これまでと概ね同程度の金額で長期国債の買入れを継続-0.3-0.2-0.10.00.10.20.3%3月決定会合政策金利残高への付利金利(▲ 0.1%)0.1%程度上昇付利金利(+ 0.1%)<従来><今後>図表9
§34
月間の買入れ予定額5.75.34.94.54.13.73.32.9024/71025/1471026/14月兆円程度原則、毎四半期4,000億円程度ずつ減額26年4月~中間評価時に検討・公表中間評価日本銀行の保有国債残高01002003004005006001314151617181920212223242526兆円年おおよそ7~8%減少① 来年6月の金融政策決定会合で中間評価を実施②長期金利が急激に上昇する場合には、機動的に、買入れ額の増額等を実施③必要な場合には、金融政策決定会合において、減額計画を見直す2026年3月までの減額計画の考え方①長期金利:金融市場において形成されることが基本②国債買入れ:国債市場の安定に配慮するための柔軟性を確保しつつ、予見可能な形での減額が適切<予見可能な形での減額><柔軟性の確保>図表 10長期国債買入れの減額計画( 2024年7月)(資料) Bloomberg日経平均とドル円相場図表 1114014214414614815015215415615816016231,00035,00039,00043,00024/124/424/7日経平均ドル円(右目盛)(円)(円)月
§35
名目GDP・賃金・物価の水準(注)賃金は、常用労働者 1人平均月間現金給与額(事業所規模 30人以上)。物価は、消費者物価指数(総合)。(資料)厚生労働省、総務省、内閣府図表 12100150200250808590950005101520名目GDP賃金物価( 1980年= 100)年消費者物価の品目別変動分布(注)日本は、除く生鮮・エネルギー。米国は、除くエネルギー。(資料)総務省、 BLS図表 13日本米国010203040-10 -5051015202023/12月2019/9月(前年比、%)(品目数構成比、%)~~010203040-10 -5051015202023/12月2019/9月(前年比、%)(品目数構成比、%)~~
§36
価格改定状況(注)左図は、前年比の価格変化率が ±0.5%以内である品目の割合。右図は、前月から品目別の平均価格が変化した都市の割合。生鮮食品、電気・都市ガス・水道、家賃を除く。消費税増税時期やセール等による一時的な価格変動を除く。後方 12か月移動平均。(資料)総務省図表 14価格据え置き割合(ゼロの山)価格改定頻度01020304050607080919599030711151923家賃サービス(除く家賃)エネルギー財(除く生鮮・エネルギー)総合(除く生鮮)(CPI総合除く生鮮に占めるウエイト、% )年度0246810121416919599030711151923財サービス(%/月)年財価格に対するサービス価格の比率図表 15(注)ユーロ圏は、持家の帰属家賃を除く。(資料)総務省、 BLS、Eurostat、ONS80859095100105110115120125101520米国英国ユーロ圏日本( 2010年1月= 100)年 物価と賃金の上昇に対する企業の認識(注)右図は、左図において物価と賃金がともに緩やかに上昇する状態を好ましいと回答した企業に占める比率。(資料)日本銀行図表 16「 1990年代半ば以降の企業行動等に関するアンケート調査」物価と賃金が緩やかに上昇する状態が好ましいと考える理由事業活動上好ましい物価と賃金の状態